Joseph Alfred Lamy (1850-1919)
ジョセフ・アルフレッド・ラミー
おそらくヴィヨームとヴォワランの影響を強く受けた、ミルクールのC.C.N.ウッソンのもとでシャルル・クロード・ウッソン、ジョセフ・アルテュール・ヴィネロンとともに弓製作の基礎を学んだ。8年間のシャトー・ティエリでの生活の中でジョセフ・ヴォワランと親睦を深めた。1876年からはパリにてジョセフの兄で優秀な弓職人のフランソワ・ニコラのために弓製作をすることとなり、彼のアシスタントとして働いた。そこには若きルイ・トマッサンもいた。
1885年のフランソワ・ニコラ・ヴォワランの死後、自身の工房を開設し製作を続ける。
独立初期の彼の作品は非常に繊細な作りであったが、時を経るごとに次第に頑丈な作風へと移り変わっていった。徹底して質の良い材のみを使用しており、音楽家からはその音の良さ、鑑定家からはその美しさが高く評価されている。
当時パリの多くの弓職人が手が足りずにヴァイオリン製作工房に協力を仰いでいた一方で、ラミーは全工程自分自身の工房で仕上げていた。とはいえ、1900年代にはいってから息子たちの手を借りるようになる。彼らは自分たちの作品に誇りを持っており、ほとんど他店のためには製作していなかった。
店舗・オフィス紹介