フランソワ・ニコラ・ヴォワランミルクールで修業後、1855年にパリへ移り、従兄ジャン=バティスト・ヴュイヨームの工房に加わった。ペカット派の作に触れる環境にありながら、主にピエール・シモンとヴュイヨームの影響を受け、この時期の「ピクチャー・ボウ」の多くを手がけた。1870年に独立後、作風は次第に変化し、フロッグはヴュイヨーム様式を保ちつつ、ヘッドはより細く洗練されていった。この変遷は、19世紀後半におけるペカット派からヴュイヨーム派への流れを象徴している。1872年にルイ・トマサン、1876年にはジョゼフ・ラミー(ペール)をアシスタントとして迎え、1885年に没するまで制作を続けた。弓製作史上きわめて重要な作品群と評価されている。
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